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北野武映画の『キタノブルー』の使用と効果

2018-08-16陈潇韵张黎黎

校园英语·下旬 2018年4期
关键词:北野武次郎色彩

陈潇韵 张黎黎

はじめに

北野武は中国でも有名な日本人の映画監督である。彼の映画作品が人間性を深く表現することが故、中国の20、30代に人気が高い。「あの夏、いちばん静かな海」「菊次郎の夏」「HANA-BI」、この三つの映画のポスター①を一つのページで見てから気づいたことだ、ストーリーがそれぞれであるが、ポスターの色のトーンが同じくブルー系にされた?。これはただの偶然か、或は色彩を意識してわざとしたか、その効果はどうだろうか。北野武に関し、キネマ旬報社が出版した文集、「作家論——"旅"に"遊ぶ"北野映画」(1999年6月)、「北野武全作品を読み解く(作品論)」(1998年2月)があり、映画のシナリオライター、講師川辺一外も「ニュ-シネマの分析 北野武監督「HANA-BI」の芸術性と興行性」という論文を書いた。中国でも2000年に晏ニが書く「北野武と彼の映画」や北京映画学院の司達の「北野武の映画言語研究」、屈ヒの「静の中の暴力――北野武の暴力映画特徴」などの文書があり、多くの学者や知識人が北野武について論じてきた。

北野武、あるいはビートたけしは日本のコメディアン、タレント、映画監督、俳優。日本国外では映画監督としての知名度が高い。1989 年に「その男、凶暴につき」の監督としてのデビュたー作から二十六年間、北野武が17の映画監督或は企画、脚本、主演担当した。中には1998年公開の「HANA-BI」が国内外で知名度が高い代表作で、1998年ニューヨーク国際映畫祭国際映画賞を受賞し、第 54 回ヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞しておる。中国では「あの夏、いちばん静かな海」(1991年公開)、「菊次郎の夏」(1999年公開)もよく知られている。中国一番人気な映画コメントサイトである豆瓣ではそれぞれ 8.2 コード、2.1万人コメントと8.7コード、13.3万人コメントを得、ヒートだった。この三つの作品は北野武九十年代の脚本と監督担当の作品で、これらのポスター、画面の全体的なトーン、代表的な小道具の色などによく青が使われる。「キタノブルー」と言われている②。

『あの夏、いちばん静かな海』の中のブルーの存在と効果――純粋と希望

収集車でのごみ回収業務を仕事とする聾唖の青年·茂がごみとして出された先端の欠けたサーフボードを持ち帰ることをきっかけでサーフィンに夢中になる。同じく聾唖の彼女·貴子がよくサーフィンに付き合っている。茂が上達した腕前で大会での入賞も果たす。二人が入賞の記念撮影をした。そんなある日、いつものように貴子が海にやってくるがそこには茂の姿は無く、波打ち際で漂うサーフボードだけが残っていた。

この作品が黒澤明に高評価された③。聾唖の恋人同士が主人公であるから、セリフが少なく、ストーリーも穏やかで、見た後、映画の名前のように夏の一番静かな海辺の雰囲気が深く印象に残った。茂の初めのサーフボードがブルーとホワイトでしかも「Blue Bunny」という文字が書いてある。ブルーの海の中、茂が一生懸命練習している画面が何回も出た、彼女の貴子が砂辺で見ている様子も彼らの恋の象徴になると思う。ブルーは茂のサーフィンへの単純な情熱、自分を挑戦し、海へ出航する意志と彼らの無言の純粋な愛の色彩であろう。茂が結局事故に遭い死んだが、その過程や発見など、直接な画面はない、代わりに、穏やかな人がいなくなった浜辺でそれを語った。初恋がブルーの海、空、サーフボードのように切ないが、無邪気で、希望に満ちる。死亡の重さは薄いブルーのトーンと対比になり、この作品がの単なる青春映画でなく、深さが感じられるようになる。

『菊次郎の夏』の中のブルーの存在と効果――憂うつと癒す

夏休み、一人ぼっちの小学三年生の正男は、遠く離れて暮らしているという母親に会うために、お小遣いを持って家を飛び出す。それを知って心配した近所のおばさんは、自分の旦那でチンピラ中年、菊次郎を正男に同行させて豊橋の母親のもとへと旅に出る。二人がやっと母の住所についたが母はもう新しい家族ができ、幸せそうに暮らしていることが分かった。正男が泣きながらこっそり帰ることにした。いつもがさつな菊次郎が途中に一緒に遊んでやり、正男を癒やそうとするコメディーだ。

この映画の中、ブルーが多く使用された、明るさの程度より、二つのものを強調していると思う。ストーリーの初めは正男と友達が夏休みを向かい、学校の最終日の帰り道だった。一人ぼっちの正男の落ち込んでいる気持からだろう、空がうっとうしい青のトーンだ。チンピラ中年、菊次郎のふさいでいる情緒にもふさわしい。これは憂うつのブルーである。もう一つはより明るいブルーだ。正男が母の居場所が知り、母を探す旅を立てる時背負った天使の翼のブルーのバック、二人が一緒に遊び、仲良くなるブルーのプールと菊次郎が母と会うのを諦めた、泣いている正男を慰めるためにあげるブルーの天使の風鈴、この三つのものがかわいそうな正男に希望を与え、不安を払拭した。結局、正男が微笑みながら、菊次郎に「おじちゃん、ありがとう。」お言い、母と予想通り合わなかったが、楽しい夏休みを過ごし、癒されたようだ。本映画の中、ブルーは憂うつと癒すの二つの面から考えることができるだろう。母の愛が欠ける正男は天使の翼のブルーのバックにその哀れと孤独を包む、プールで遊んでいる時、気分がよくなり、画面も明るさのあるブルートーンになった。点にかかわらず、ストーリ―の展開に、青の明るさが雰囲気を変える。

『HANA-BI』の中のブルーの存在と効果――執着心

妻や同僚の生と死、そして妻との逃亡を敢行する一人の孤独な刑事の人生模様を描く映画である。不治の病に冒され余命いくばくもない妻を見舞っていた西は、自分の代わりに張り込んでいた同僚の堀部が犯人に撃たれたとの知らせを聞く。堀部は車椅子を使わなければならない体になってしまった。西らはその後犯人を追い詰め、捕らえようとするも抵抗する犯人が発砲、部下の田中が犠牲になる。西は犯人を射殺し、何発も銃弾を撃ち込む。刑事を退職した西は堀部の絵を描く夢と田中の未亡人をサポートするために、バンクを襲い、ヤクザから金を借りた。妻に不自由ない生活を送らせようとするが、返済が滞っていく。妻と最後の旅行――死亡のハーニームーンをはじめ、結局砂辺で夫婦が射殺された。

「HANA-BI」は日本語で二つの単語で、「花」と「火」となり、ポストにあるように青の炎の燃えているひまわりが「HANA-BI」の画像化したものである。中国バージョンでは「花火」と直接に中国語に訳してしまったが、実は「花与火」がよりふさわしい翻訳だ。④花は西が妻と同僚との感情の象徴で、生きている感じだ。火は死の象徴で、暴力と闘争の激しさを表した。映画の前半、色の調子は寒色だ。白血病の妻を見舞うときは昼間だが、二人とも陰影の中に座り、暗くて青い空気が満ちた病室がこれから二人の運命を暗示した。明るい画面はほとんど夫婦の死亡のハーニームーンと堀部の絵にしか見えない。これと対照になるのは濃い青色の暴力画面だ。破滅の道は西が自分から選んだのと思う。妻と同僚への愛と恥だからかもしれないが、西が初めから最後まで表してるのはためらいのなく絶望的な抵抗だろう。初めてヤクザを殺すとき、光が足りるレストランでするのに、色の調子が濃い青色にした。雪の積もったところでヤクザ何人と銃撃戦の時のトーンも同じく濃い青色だ。これで冷え切っている、厳粛な雰囲気を作り、主人公の破滅の道を選ぶ決意を示すことができると思う。

色彩への条件反射

人間が感じる数えきれない色彩の本質は周波数が異なる光波である、それぞれの光波が眼にある感受器に遭い、「共振」ができてから、我々は色を気づき、分けて始めた。光は光波のエネルギー性と粒子性(実体性)が原因で、眼が光と接触する時エネルギーや粒子が転送されたのが分かりやすい。物理学の面のほか、心理学の面では、人が生きてきた環境から経験や文化により物事に対する認知が形成し、条件反射と言われる。色彩にも条件反射がある。考えてみれは、なぜ禁止や危険の目印がアカや黄色にするのか、先祖が黄色いと赤い火でやけどしてしまい、危ないイメージが赤と黄色につけられたからでしょう。そのため、人類が進化する、経験を伝承する過程中、色彩への共有している条件反射ができたと言えるだろう。勿論、各民族、各地域の人或は各時代の人には、各色に関する感じも違うのだ。したがって、色彩が生理的も、心理的も人にパワーがあり、芸術等の分野で気持の伝達する方法として、色彩の使用が生かされている。⑤「キタノブルー」の表現力様々な色に満ちた『ドールズ』以降、北野武が「キタノブルー」を強調しなくなっているが。彼前述の三つの作品で「ブルー」はもはやメインイメージとして作品の核心の思想と結びついているだろう。ブルーという色彩はクロマティックサークルで、寒色の中間色であり、水、空、氷河、夜を思い出される。日本は海に囲まれる島国で、海に恵まれてきた。昔は海の気候の調子により、出漁するタイミングを判斷し、生きてきたから、海のブルー系の色に対し、特別で、敏感な感覚が生じていただろう。収縮色であるブルーは静かで、冷静でディープなブルーが圧力もあると感じられる。画面の全体的なトーンが違うブルー系の色に変わることで主人公の気分の変化を表現し、ストーリーの展開を推進する、代表的な小道具をブルーにすることで小道具の物質を超える抽象的な意味も色濃くなるだろう。これらは見えなく、触れない感情の具体化表現ではないかと思う。いつの日かあの夏のブルーの海に行ったり、ブルーの風鈴をもらったり、ブルーの夜に入ってしまったりする時、この三つの映画を思い出し、自然と感情移入ができるだろう。

本文は「キタノブルー」という言い方を三つの代表作を使い、具体的に分析し、北野武の90年代の映画の色の使用し方とその効果を考えてみようとした。色彩は芸術作品の感情具体化や、深さを記号化することへの作用を覗くこともできる。芸術鑑賞や創作に少しでも参考になればと思う。

参考文献:

[1]同じくブルー系のポスター.

[2]“キタノヨウゴ” (日本語).SmaSTATION テレビ朝日. 2010年12月25日閲覧.

[3]「黒澤明が語る日本映画論」.

[4]康路《花火》——北野武的色彩策略评析[J].剧影月报,2006.

[5][美]帕帝贝兰托尼.不懂色彩不看电影[M].世界图书出版公司, 2014.

[6]日本映画史100年(集英社新書)新書–2000/3 四方田 犬彦(日).

[7]「孤 独」(ロッキング·オン)2002北野武(日).

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