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日本に嫁いだアジア人女性の適応問題

2017-04-20张玥

青春岁月 2017年5期
关键词:問題外国人家族

张玥

【要旨】1980年代から、日本人男性とアジア人女性との結婚が増加した。アジア各国の花嫁が異文化適応の過程において、それぞれの特徴を持っている。本研究では、国籍別の状況を比較し、中国、韓国、フィリピン3ヵ国の花嫁の異文化適応状況の相違点を整理する。

【キーワード】国際結婚;異文化;適応;共通点;相違点

一、研究背景

国際移動が頻繁に行われるようになった今日、国際結婚はもはや空の彼方の存在ではなくなり、私たちの周りでも日常的に発生しうる身近な事柄となってきている。厚生労働省が2016年に発表した人口動態統計によると、日本における婚姻件数は63万5156組であり、そのうち国際結婚は2万976組で、30組に1組は国際結婚である。そのうち日本人男性と外国人女性による結婚は14,809組で、国際結婚の7割以上を占めている(2016年厚生労働省人口動態統計)。

日本人男性と外國人女性による国際結婚件数の推移を見ると、1965年から1991年までは韓国·朝鮮と中国の女性が主な結婚相手であった。特に「韓国·朝鮮」の女性が多数を占めていた。つまり日本における「外国人花嫁」とは80年代後半まではそのほとんどが旧植民地時代の歴史的背景をもった「韓国·朝鮮」の人々であった。1945年の日中戦争の終戦以来、1972年に日中国交正常化が実現するまでの間は両国の交流が空白に近い時期であった。その間、日中国際結婚はごくまれであった。1970年代末から、中国の改革開放に伴い、日中国際結婚も徐々に増加した。

1980年代後半から、農村地域の嫁不足問題を解決するため行政主導的結婚移民―アジア女性と農村の男性とのお見合い結婚が始まった。農山村での国際結婚として社会的注目を集めたのは、山形県朝日町が1985年に後継者「対策」の一環としてフィリピン人花嫁を迎え入れたことであった。その時からフィリピンからの花嫁が増加し始めた。1992年以降、配偶者の国籍のカテゴリーは細分化され、フィリピン女性に対する調査もその時期から始まった。1992年から1996年までフィリピンの女性が韓国·朝鮮と中国を上回りトップとなった。しかし、1997年から2005年まで中国が一位の座についた。その後2006年、わずか19人の差で首位の座をフィリピンに譲り、その理由は2005年に、「興業」の在留資格で来日できなくなったフィリピン女性が「結婚」という形で来日することになったからである。これは一時的な現象で2007年にフィリピン女性の数が大幅に落ち込み、中国が再び一位になった。その後2007年から2015年まで中国がずっと首位である。

では、なぜ日本人男性と外国人女性、特にアジア人女性との結婚が増えたのだろうか。まず、1980年代、日本が「経済大国」として、経済力が強くなった点があげられる。旅行やビジネスで海外に出かける日本人、日本に来る留学生(韓国、中国人が多い)が増え、日本人と外国人とが出会う機会が増加した。また、1980年代半ばから日本における労働力不足、日本との所得·経済格差によって、日本に出稼ぎ労働に来る外国人が多くなった。とりわけ、各地のパブやクラブで、シンガー、ダンサーとして、フィリピン女性が数多く働くようになった。そして、日本の男性客と知り合い、結婚するケースも増えていった。他方、女性の晩婚化や男性の独身率の増加に見られるように、日本人男性の結婚難も指摘できる。生涯のパートナーを求めて、フィリピン·パブに通った男性客も少なくない。また、男性の結婚難は過疎化に苦しむ農村でも深刻だった。「嫁不足」が深刻な東北·山形では、1985年、町役場が結婚業者と提携して、農家の男性とフィリピン女性との集団結婚をまとめた。その後、山形、秋田といった東北だけでなく、新潟や徳島の村々も業者と提携して、フィリピンから「花嫁さん」を迎えた。90年代以降は行政機関が直接関与しなくなったが、結婚業者が農村だけでなく都市の男性に対しても、中国、韓国、フィリピンを中心にアジアの女性を紹介してきた。

二、先行研究

このような状況のもと、アジア人女性と日本人男性との「国際結婚」に関する研究が多く誕生してきた。それらの研究は主にアジア全体を対象とする研究と国籍別の研究に分けられる。以下はそれらの研究を整理するものである。

三、各国の花嫁全体を対象とする研究

まず、アジア各国の花嫁の適応過程における「共通」の傾向を分析する研究についてテーマごとに整理すると、以下のようになる。

1、否定的に捉えられた「ムラの国際結婚」

日本における行政主導的結婚移民は、1985年山形県朝日町でのアジア人女性と農村男性とのお見合い結婚から始まった。これは、当時問題となっていた農村の嫁不足の問題を解決するために行政が関わったものであり、その後嫁不足で悩んでいた多くの自治体が行政主導の国際結婚の斡旋に取り組んでいた。その時、「ムラの国際結婚」を斡旋する行政に対する批判的視点からの研究が多かった。宿谷(1988)は当時の行政による国際結婚の裏を暴き、結婚移民女性本人から苦境を聞き、その中で、アジアの女性を犠牲にし、利用している日本のエゴイズムを批判している。また本来の姿とは異なる不自然な結婚に行政が関わることに対する批判(佐藤1989)や、国際結婚女性を地域国際化のシンボルとして利用する行政を非難するなど(仲野1998)、当時の多くの研究は「ムラの国際結婚」を否定的に捉えた。

2、精神的領域での研究

その一方、当時山形で精神科医であると同時にNPOのメンバーとして結婚移民女性への支援活動をしていた桑山が結婚移民女性のストレスについて研究していた。その研究は現在でも結婚移民女性の研究において数多く引用される文献となっている。1990年代から「外国人花嫁問題」が大きな社会現象として注目された。桑山は「精神科医」として四年に渡って外国人妻たちと関わり、次第にこの問題の深刻さと複雑さに直面し、「専門家としての精神科医」と「NPO活動者」という立場を取るに至っている。そういう経験の中、日本人妻となった彼女たちのストレスの山場を五つに分けている。まず、一ヶ月目に戸惑いと困惑の山場があり、第一次身体的ストレス期と呼んでいる。次の、3ヵ月目に訪れる山場の主たる構成要素は「怒り」であり、この時期を精神的ストレス期と呼んでいる。次の山場は六ヶ月目であり、主に「身体的な疲れ」を感じる。これを第二次身体的ストレス期と呼んでいる。そして、二年目に訪れる山場は「飽き」がその根底にあり、この時期を「第一次対比期」と呼んでいる。最後、五番目の山場が来日の五年目に訪れ、「第二次対比期」と呼んでいる(桑山 1995:19-26)。

更に桑山は、アジア人「嫁」の家庭内におけるストレスの原因として、夫の存在感のなさやあまりに強大な支配力を持っている夫の母親の存在、妊娠出産子育ての問題などを挙げている。その中でもっとも大きなストレスは「日本人家族との人間関係」であると指摘した(桑山1995:32-40)。

3、意識と実態に関する研究

アジア人「嫁」に着目するアンケート調査による量的調査としては、中澤進之右の研究がある。中澤は国際結婚によってアジア地域(フィリピン、韓国、中国)から山形県最上地方に嫁入りした外国人妻の意識と実態に焦点を当て、自国の文化から日本の文化へ、特に農山村の文化へと適応·変容していく過程を出身国別に分析した。その結果として国際結婚の問題点を指摘した。1、結婚する双方の当事者が相手や家族·生活地域に対する理解を欠いたまま、結婚に踏み切っている。このような短期間での結婚は矛盾をはらんで実現されているため、事態をより複雑で深刻なものにしている。2、外国人妻は独自の文化を否定され「日本人化」を過度に要求されることにより自尊心を傷つけられ、家族に対する不信感を募らせる結果にもなっている。3、収入·家計の管理をほとんど姑が取り仕切っており、日本の家族からは妻や母親としての役割を奪われ、疎外されている外国人妻は多い。また地域社会においても理解を欠いた発言や対応に接することが多く、家庭と地域社会での二重の疎外状況は、外国人妻の動揺、不安、葛藤、ストレスを招いている。4、就労機会が確保されない、参政権がない、交通や消費に伴う不便さ、信仰の否定や礼拝に参加しづらい状況、日常生活のマンネリ化、法的身分の不安定など様々な要因で日本での生活に完全には溶け込めていないことになっている。よって中澤は、当該地方には日本人·外国人の国籍を問わず、嫁入りした女性に権限を持たせ、生活形態の機能や質的なあり方の調整·変化が求められると指摘した(中澤1996)。

武田(2011)も結婚移住女性の主体性に注目し、「ムラの国際結婚」の実態を明らかにするため、アンケート調査と聞き取り調査を実施した。アンケートは南魚沼市民アンケートと結婚移住女性のアンケートとに分けて行った。市民アンケートは「国際結婚」に対する市民の意識、外国人への偏見差別の実情、さらに自治体の多文化共生の地域づくりに対する期待度などを中心に考察した。結婚移住女性のアンケートに関しては結婚移住女性を来日時期により三つのグループに分けて個人状況と社会的ネットワークの形成を考察した。その二つの調査から、日本人市民と移住女性の意識ギャップを分析した。聞き取り調査は結婚移住女性とその配偶者や日本人家族からの聞き取りに基づいて、ライフイベントを3つの来日時期に分けて整理した。そこから結婚移住女性の適応過程を「近隣=地域社会」「家族」「友人」「就労」の4領域に整理して分析した。その結果から、女性たちの適応過程は、日本社会への一方的な同化的適応ではなく、アイデンティティを保持しつつ受容可能な形で折り合いをつけるものであることが明らかになった。そして女性たちの家族とのダイナミックな人間関係の再編に影響を与える要因を整理した。第1に、夫との関係形成である。第2に、「嫁」と「妻」に加えて「母親」としての家族内役割の取得である。第3に、結婚移住女性の「新しい環境への精神的な準備の度合い」の高さが指摘される。また、調査を通じて、結婚移住女性たちが日本人と結婚したからと言って、必ずしも「定住」から「日本国籍の取得」へと単線的なライフコースを描いているわけではなく、子どもが独立した後は母国へ帰るという選択肢についてかなり具体性を持って考えている人もいることが明らかになった(武田2011)。

4、国際結婚家庭の教育に関する研究

国際結婚家庭の教育に関する研究については、東北地方農村部の跡継ぎ男性とアジアから来た花嫁の国際結婚から生まれた子どもの社会環境に着目したものがある。この子どもたちは、学校で「意外と」いじめにあっていないと報告している。その理由として、子どもに外国にもルーツを持っていることを意識させないほどに「圧倒的なニッポンの子らしく」日本人祖父母に育てられたことが判明したと指摘している(桑山1997)。

敷田は質的調査を通して国際結婚家庭の「家庭内言語·文化」に着目し、家族の志向性を大きく3つに分類(日本志向/母国志向/両立志向)して、分析を行った。この分類によって結婚移住女性の言語·文化資源や社会関係を生かし、子どもの教育においても女性が主体的に行動しうる家族の形を描き出した。それに基づき、国際結婚家庭の抱える課題も示唆された。両立志向の家族の語りからは、家庭內でいかに二言語·二文化獲得を目標として環境を整えようとも、モノリンガル·モノカルチュラルな傾向の強い日本の学校や社会では、結婚移住女性とその子どもの持ち込む異言語·異文化はいまだ「不必要なもの」というまなざしを受け、十分に評価されない現状があることが明らかとなった(敷田2013)。

以上の研究を通して、アジア各国の花嫁が異文化適応過程において共通して体験していることが浮き彫りになった。花嫁たちが異文化生活の中、五つのストレスの山場を経験する。ストレスの原因として、もっとも大きなものが「日本人家族との人間関係」である。また、地域住民と花嫁との外国人に対する偏見差別の認知には大きな違いがある(日本人が周囲の日本人に外国人への偏見差別があると感じたのが35.8%であるのに対して花嫁は77.3%が偏見差別を感じた)。さらに、家族の人間関係と地域社会での疎外状況が意識の変化(結婚前に抱いた日本に対するイメージが崩れ、日本への嫁入りを後悔する)を促した。そして、日本への移住は子どもの誕生により新たな局面を迎えつつある。国際結婚家庭で生まれた子どもの「家庭内言語·文化」の志向性は三つ(日本志向/母国志向/両立志向)に分類できる。両立志向を持つ家庭は「二言語·二文化」が日本の学校や社会から十分に評価されない課題を抱えていた。

つまり、これらの研究は各国の女性が適応の過程の中で共通する経験をまとめた。しかし、国籍の違いにより、国際結婚の中身も多様になっている。「共通点」だけでは花嫁の実態を把握しきれない。そのため、国籍別の研究も整理してみる。

四、出身国別の花嫁を対象とする研究

1、フィリピン花嫁に関する研究

フィリピン女性と日本人男性との結婚は主に二つの方向に遡ることができる。一つは「興行」ビザによる来日で、日本のパブで働いていたフィリピン女性が客として来店した日本人男性と知り合い、結婚した例である。佐竹(2006)によると、戦後日本の経済成長、とりわけ1970年代半ば以降の活況を通じ肥大した歓楽産業で人手不足が深刻化した背景のもと、先進工業国に対して周縁的な位置にあるフィリピンは十分な雇用を生み出せないため、国民を海外へ送り出していた。こうして労働者を受け入れる国と送り出す国との間における経済格差が80年代の半ばより、フィリピン女性の興行来日を促進した。2004年時点で「興行」資格で来日する8万人に加えて、超過滞在者約1万人を合わせ、計9万人のフィリピン人が「興行」に従事していた。それも女性がほとんどである。そこから、女性の出稼ぎ労働が国際結婚の増加につながったこと、パブが出会いの場として重要な機能を示したことが指摘された。しかし、国連や米国から日本が国際的人身売買に関わっている、特に「興行」ビザによる入国がその温床になっていると批判されたことから、日本政府が興行による入国を制限した。その後「興行」ビザによる入国は全体で2004年の13万4879人(うちフィリピン人は8万2741人)から、2005年の9万9342人(同4万7765人)、06年4万8249人(同8608人)と激減した。

もう一つは、すでに述べたように、山形県から始まった行政見合い結婚であった。発端は山形県西村山郡朝日町だった。この地域は過疎地域であり、高齢化が進み、65歳以上が人口の18%強を占めていた。30代の独身男性は239人、同年代の未婚女性は50人弱で、嫁1人に婿5人という極端なアンバランス状態だった。町は当初、東京連絡事務所所長の友人がフィリピンのバタアン州アブカイ町でエビ買い付けをしており、所長が嫁不足と伝えたところ、フィリピン女性を紹介してくれたと発表した。実際は、民間の国際結婚斡旋業者JPMが持ちかけた企画だった。こうして集団結婚を通じて、1985年8月~86年9月に9組の結婚が成立した。その後、嫁不足に悩む全国の自治体が朝日町へ問い合わせ、訪問するようになった。地域社会の「国際化」が全国的に広がっていった。ただしマスコミ等からアジア人女性を商品化する人身売買、不自然なインスタント結婚との批判が強く、行政が結婚仲介をすることの是非が問題とされた。そのため、最上地域では行政主導型結婚仲介は1~2回で打ち切られ、民間仲介による国際結婚へと移行した。

佐竹(2006)はフィリピン女性と結婚した、自分の国際結婚生活の実態を描いた。1990年に結婚して四国で共同生活を始め、当初の適応過程を経て、3人の子どもを抱えることになった。そしてより先に結婚した日比カップルや後に誕生した夫婦とも知り合い、さまざまな経験を分かち合った。その後その人達を対象に調査を展開した。1987年東祖谷に行政見合い結婚で嫁いできた6人のフィリピン女性を対象にインタビュー調査を実施して、生活の実態を明らかにした。調査の時点で彼女たちのうち一人は夫を説得し二人で村を出て、名古屋で一緒に暮らす道を選んだ。別の二人は村に残って大黒柱として家族を支えてきた。夫に暴力を振るわれて離婚し、数年後別の日本人と再婚した人が1人いる。夫が労災で亡くなった後、子どもを連れて東祖谷から横浜に去った女性もいる。離婚してフィリピンに帰国した人もいる。さらに、フィリピン人女性と結婚した日本人男性を対象にアンケートとインタビュー調査を実施した。夫の視野から異文化間結婚に存在する問題点や意識の変化を聞くことになる。問題点としてフィリピン女性と結婚することに対する周囲の反応や結婚した後のコミュニケーションの問題、家族形態の違いによる葛藤などが挙げられた。夫の意識の変容としては、フィリピン女性の「家族第一主義」や「男女平等志向」「強さ」「日常的政治·抵抗の心理学」が主人の「男権主義」意識を変わらせることや異文化体験·交流を通して男性の視野が広がり、平等や公正といった「多文化共生」的な視点が生まれたことも示した(佐竹2006)。

2、韓国人花嫁

韓国では朝鮮戦争後の1954年から1974年が人口急増期である。それに農村から都市への女性の流入、さらに「男女の年齢差4歳の結婚が理想」という社會通念が働いたため、1985年のソウルにおける未婚男女数は、20歳代前半で約9万人、20歳代後半では約4万人の女性が「過剰」になっていた。これに加えて、韓国の家族法は、結婚した女性や娘が戸主になれないことなど、女性の地位が低く規定されていた。さらに、女性に対する早期定年制などの慣習があり、女性が経済的に自立することが困難であった。また、韓国の女性が未婚のまま生家にとどまることも難しい状況にあったため、結婚は女性にとって生活保障を得る手段であった。そうした状況下では、離婚した女性は居場所を失うことになる(武田2011)。笹川は日本へ向かった韓国女性の背景について「①大都市における未婚女性人口の相対的な過剰、②女性の経済基盤の弱さ、③家族法における女性の地位の低さ、④「適齢期」観念の強さと再婚の難しさ」(笹川1989:233)の4点にまとめている。しかし、韓国社会に韓国女性たちを送り出す社会的圧力があったとしても、それだけでは日本人男性との結婚は成立しない。自然状態ではつながることのない韓国女性と日本の農村男性を結びつける仕組みがなければならない。それが日本側の仲介業者であり、また韓国側の結婚斡旋業者である。

李(2012)は東北農村地域における「仲介型国際結婚」について研究した。この研究では岩手県南部から宮城県に住んでいる韓国出身の結婚移民女性の10人を対象にインタビュー調査を実施した。ライフヒストリーから結婚の経緯やその後の生活、そして現在抱えている問題を考察した。調査事例を初期段階(結婚移民後5年まで)と初期以降(5年以降)に分けて分析を行った。結婚初期段階におけるコミュニケーション支援は確かに重要であるが、家族の問題、育児の悩み、介護のストレス等この時期の結婚移民女性が抱えている問題は多様化している。地域の国際交流協会が一つの窓口でこれらすべての問題に対処することは限界があると示した。そして、結婚移民初期には気にしていなかった外国人としてのアイデンティティが移住先で長年にわたる文化摩擦を経験することによってよみがえり、再び自分のアイデンティティを取り戻したケースが多い。事例の分析から言えることは、現在の結婚移民女性は滞在期間から年齢、そして遭遇している状況まで実に多様なジェンダー役割の中で奮闘しており、その上、外国人としてのアイデンティティの維持に葛藤していることである。しかし日本の「多文化共生」施策には限界があるため、施策に頼るだけでは、結婚移民女性たちの主体性は向上されにくい。結婚移民女性達は、自助組織であれ、共助組織であれ、彼女等が遭遇している様々な問題を当事者自らが助け合い、社会に働きかける仕組みを作る必要があると提示した(李2012)。

武田里子は農村部(新潟県南魚沼市)と都市部(東京都新宿区)における韓国人移民結婚女性を対象に聞き取り調査を実施し、事例の比較を通して適応過程で利用できる社会資源に大きな違いがあることを明らかにした。農村にはアクセス可能なエスニック·コミュニティも教会もない。そのため、女性たちの適応過程はいかに日本人との社会関係を作れるかが鍵となった。この点で農村は都市部に比べて女性たちをコミュニティに組み込むさまざまな仕組みがある。共同作業も男女別や世代別、子ども会など多様な機会があるうえ、居住者の絶対数が少ないために移住者もその役割から逃れようがない。国籍よりも「○○の家」の家族であることに、より大きな意味があると指摘した(武田2011)。

日韓国際結婚家庭で生まれた子どもの言語選択要因については花井の研究がある。この研究は韓日·日韓国際結婚家庭の言語継承を中心として展開された。研究の手法は、まず在韓日本人母及びその配偶者韓国人父を対象に国際結婚家庭での子どもへの言語継承意識についての質問紙調査を実施した。その結果、日本語継承を促進する要因として「良好な家族·親族関係」「韓国での政策·日本語の評価の向上」(韓国での国際化に伴う在留外国人·外国人配偶者の増加に対応すべく実施された政策や制度の改善は、在韓の日本人母が外国人として生活するための安心感につながり、さらに日本語の社会的評価の高さが、在韓日本人母が日本語継承を肯定的に捉える要因となっている)。「韓国に対する消極性と日本人との交わり」の3因子が抽出され、両親の継承意識から「親の二言語習得に対する積極的な姿勢」も見出された。それに基づき、さらに在韓日本人母、在韓韓国人父と在日韓国人母、在日日本人父の2グループ間の継承意識の差異を検証した。その結果、「居住地での政策と母語の評価の向上」「社会に対する消極性と同国人との交わり」「親の二言語習得に対する積極的な姿勢」に該当する項目に有意差が見られた。そこから、日本に居住する在日韓国人母からは韓国語が継承できない一つの要因として、法的支援のなさが明らかになった。そして政策の改善が国民·外国人の意識変化に大きく影響を及ぼすと指摘した。さらに、ホスト社会の理解が、外国人として生きていくという肯定的な意識を促していた。社会での受け入れ体制を整えていくことが、子どもの言語継承も自然なこととして考えられる社会の構築につながっていくと述べた(花井2016)。

3、中国人花嫁

今やアジア人花嫁の出身国の割合の多くを占めている中国についてみてみると、近年目覚ましい経済発展を遂げており、特に大都市の就業環境が整備され、都市と農村との格差が開いている。このような社会、時代の変化を考えると、近年の中国人花嫁の場合、以前来日した女性との間で出身地域、階層、学歴、職歴等に違いが見られる。しかし1990年代後半から国際結婚件数が伸び続ける中国人女性に関する研究はその現状に追いついていない。その中で賽漢卓娜の研究がある。この研究は日中間の国際結婚に焦点を当て、日本人男性と中国人女性のカップルを研究対象としている。

まずは「国際結婚」の送り出し側と受け入れ側についてそれぞれの結婚移動を促進した背景と要因を検討した。その上で、中国人女性が移動した後の適応過程について、彼女たちのライフストーリーを分析して、そこから移民女性の結婚移動における問題点を整理し、更に改善のための提案を試みた。そして中国人女性の送り出し社会におけるプッシュ要因について、主要因と二次的要因、更に媒介要因を見出した。主要因としては経済要因、ジェンダー要因を指摘した。二次的要因は憧憬維持のメカニズム(先駆者は日本に関するポジティブな情報のみ故郷に伝達する、ネガティブな情報を遮斷していくという悪循環が生じること)の動きが挙げられる。媒介要因としては、国際結婚紹介所の動きが女性の移動に関与すると指摘した。日中国際結婚をもたらす背景にある日本におけるプル要因については、農村の嫁不足問題や国際結婚紹介所の動きが挙げられる。

女性の結婚移動に関する問題点については、1)社会経済制度による女性の周辺化、2)監督不在の国際結婚紹介所の問題、3)同化圧力による外国人「嫁」の幸福の制限、4)居場所の欠如が指摘された。

以上の問題点を解決するために、受け入れ社会と送り出し社会それぞれの角度から提言を行った。受け入れ社会としては、1)自治体の相談体制の整備、2)外国の文化、社会状況を理解し尊重する取り組み、3)日本語学習、4)情報提供の脱差別化、5)同化を避ける家族関係作り。送り出し社会としては、1)政府は農村-都市の様々な格差の是正に有効な政策を練るべきであり、特に農村出身者の地位の改善が必要であること、2)政府は仲介業者を管理するための法整備を急ぐべきであること、3)政府は海外へ嫁いだ女性の置かれた状況を把握すると同時に、その状況を国内に向けて着実に有効に伝えるべきであること、4)「国際結婚」の子どもたちに母親側の文化を学ぶ機会を与えるような手段を充実させるべきであることである(賽漢卓娜2011)。

以上で、3ヵ国の花嫁の適応状況がそれぞれの特徴を持っていることが明らかになった。したがって、「共通点」の中で言及されなかった点について、国籍別の状況を比較·検討すれば三国の女性の適応過程における違いが浮き彫りになると考えられる。そこで、最後に中国、韓国、フィリピン3ヵ国の花嫁の異文化適応過程における相違点を整理する。

五、結論:3ヵ国の花嫁の適応過程における相違点

1、来日の経緯

これまでに行われてきた研究では、アジア人花嫁たちの場合は、日本に嫁ぐ理由は出身国によって異なる傾向があることが分かった。フィリピン人女性の「家族を養うため」という経済的理由に対して、韓国人女性は離婚や加齢による母国社会でのドロップアウトという理由を持っている。一方、中国人女性は社会で職業による満足感を得た後に、更なる人生設計のレベルアップのため海外へ渡る。その結果、中国人花嫁については①大都市出身者、②高学歴、③専門職が多いなどの共通性が挙げられている(賽漢卓娜2011:41)。

2、年齢

韓国出身の国際結婚移民女性の年齢が高い傾向にある。40代の女性が多いことが分かった。桑山(1995)はその理由を、韓国の高度成長期の中で働いていた女性たちが、年を取って会社にいられなくなった時には、すでに婚姻年齢を過ぎていることから韓国国内で結婚相手を探すことができなくなっているという社会的原因から説明している(桑山1995:69)。

日本人男性とフィリピン女性による国際結婚カップルは年齢差に特徴がある。佐竹(2006)のデータで判明した範囲で10歳以上男性が上というケースが60ケース中21例あると示した。平均を計算すると、これら21カップルでは結婚時、男性は38.6歳、女性は24.1歳だった。うち17例で女性が結婚前、日本でOPAとして働いていた。若い年代の女性がOPAとして来日し、日本人と知り合って結婚するパターンがうかがえる。

中国出身の女性は20代後半から30代前半までと40代に分かれている傾向がある。前者は初婚で、後者は再婚のケースが多い。つまり、離婚経験を持っている女性、特に前の夫との間に子どもを持っている女性の再婚が困難であるという中国の社会事情が背景にある。

3、母国への送金

フィリピンにおける家族形態は一般に「拡大家族」であり、親、兄弟姉妹、親戚だけでなく、近所の人とも絆が深い。自分にとってよいことは他の人にとってもよいことで、それを分かち合うべきだとする(佐竹2006:108)。したがって、結婚して異国に暮らすフィリピン女性が祖国へ仕送りする習慣がある。中国農村部出身の女性には実家の貧困状態を改善するため送金する人がいるが、親の来日で娘が日本でどれぐらい苦労をして貯金したのかが分かると、お金を受け入れないケースも存在する。韓国出身の女性は母国に送金する人が少なく、時には韓国の家族からお金を送ってもらうケースもある。

4、宗教

フィリピン女性はカトリック教徒である人が多い。教会の行事に参加することが国際結婚生活の欠かせない部分となる。教会の行事を通し、異文化間の摩擦や、生活で抱えている悩みなど精神的な問題がある程度緩和できることもある。この点から見ると、フィリピン女性の方が中国、韓国の女性より国際結婚生活に溶け込みやすく、それは宗教から影響を受けていることが分かった。

5、日本語とコミュニケーション能力

フィリピン女性は育った環境が漢字圏ではないため、漢字の読み書きが困難である。中国人女性にとって漢字の習得には優位性を持っているが、文法が完全に異なっているので、話す時、言葉を文章にまとめて出すのが一番難しい。韓国語の中には漢字がないが、日本語の文法と似ているので、韓国人にとって、文法が容易に身につけられる。つまり、韓国人女性がフィリピン、中国人女性と比べ、日本語を習得する際、優位に立つことが分かった。言語の面から分析すると、同じく母国で日本語を勉強した経験のないフィリピン、韓国、中国人女性たちが日本で初めて日本語を勉強する場合、韓国人女性が一番早く日本語を身につけられ、夫とスムーズに交流できることが明らかになった。

6、異文化適応過程に存在する問題点と生き抜くための戦略

中国人女性配偶者にとって夫婦間における「男女平等」と世帯間における補完という中国社会で得た準拠枠が、日本人家族の「農家の嫁」準拠枠と衝突していたことが一番の問題点である。「農家の嫁」役割をめぐって、嫁ぎ先の日本人家族と葛藤に陥る際、移住先の外部集団を選択すること、夫を説得して役割を変革すること、さらに離婚して葛藤から解放されることなどの戦略を取り、危機的状況から脱出しようとする。中国人女性配偶者は決して付与された社会環境に強いられるままの存在ではない。彼女たちは主体的に、家族、とりわけ日本人夫へ働きかけることで、家族から要請される「農家の嫁」を自分自身に適合しやすいように変更する。

フィリピン女性配偶者は異文化適応というより、日本におけるフィリピン女性に対する固定的なイメージを変えることが適応の前提となっている。この固定的なイメージとは「じゃぱゆき」イメージである。このようにフィリピン女性に対して特定のイメージが持たれ、花嫁を含む様々なフィリピン女性がひとくくりに見られるようになったことが一番の問題点である。そして花嫁たちは日常生活の中で「妻」「嫁」の役割を果たしながら、日本人のフィリピン女性に対する印象を変えることに努めている。彼女たちは「家族第一」という価値観に従い、家事·育児·介護すべてを熱心に遂行し、家族のバランスを維持する。それに、家族內だけではなく、社会的にも活躍している姿勢を見せている。彼女たちは様々な職業に就き、労働現場で勤勉で、情熱を持って働いている姿が日本人により良いイメージを作りつつある。

韓国人女性配偶者の場合、「夫または日本の家族との葛藤」を感じていることや、夫側両親との葛藤が夫婦間の葛藤にも影響を与えていることが一番の問題点として浮き彫りになった。彼女たちは強い葛藤関係の中にいるにもかかわらず、自身の韓国内の境遇と照らし合わせた結果、主体的に解決の道を探る。「消極的交渉」と「積極的交渉」を通じ、家族関係を再編し、世帯内における自身の地位を向上させている。彼女たちは日本社会への順応を試みつつ、一方の軸足を出身国である韓国から離さず、二つの社会に拠点を形成して自身の居場所作りや経済的社会的地位の上昇に取り組もうとしているのである(柳2005)。

7、子どもの言語選択

フィリピン女性は自分の言葉に強い愛着感を持っている。子どもに母語を伝えようとしても異なった意見を持つ日本人の夫、親戚が反対するからあきらめざるを得なかった。こうした状況に対応して、日本人の夫や親戚がいる時は日本語を使い、子どもとだけ家にいる間フィリピン語を使う女性がいる。また、子どもが幼いうちは日本語だけ使い、少し大きくなってから第2言語を学ばせようとするフィリピン女性もいる。それに、フィリピン語が第2、英語が第3言語となる家庭もあるし、両者の順番が入れ替わる例もある。他方、子どもをフィリピン人の集まりに連れて行ったり、フィリピンへの里帰りに同行させたりする方法も取られている。

中国人女性は子どもの言語選択にいくつかのパターンがある。日本人家族の反対があったら、母親の母語は子どもに伝えられなくなる。一方、核家族で生活している中国人女性が夫の理解を得て、家庭内で中国語による教育を実施するケースもある。逆に、結婚する前に日本で留学、就職の経験を持ち、日本語が上手な人があえて中国語を子どもに伝えないで日本語を子どもの母語にする母親もいる。つまり、中国人女性は移動の経験を基盤にしながら、自分の日本語能力に応じて、子どもの言語戦略を立てる傾向がうかがえる。

韓国人女性の場合は、花井(2016)が日韓国際結婚家庭内での親から子どもへ、子どもから親への言語使用の実態を調査し結果をまとめた。まず、父から子どもへの言語使用は居住地言語である日本語を最も多く(90%)使用している。母から子どもへの言語使用も日本語が58%と最も多い。子どもから父への言語使用を見ると、日本語を使用する割合が90%以上である。母への言語使用は日本語の使用が一番多く66.7%である。以上から、韓国人女性の日本語能力が高いため、子どもに主に日本語を伝え、外国人色を消そうとする戦略を取っていることがうかがえた。

以上で、花嫁を取り巻く出身国での環境により来日の経緯、年齢の特徴も異なっている。それぞれの文化的背景を持つため、母国の家族とのつながりや宗教慣習も違っている。さらに、母語の差異により、コミュニケーション能力も影響され、日本人との交流の度合いにも差が出る。適応過程において花嫁は母国の社会状況と対照しながら日本社会への溶け込み戦略を立てる傾向もうかがえる。子どもの言語選択において花嫁は移動の経験に基づき、母語と日本語の将来性を考えた上で決定を下す。以上から、花嫁の国籍により、移動の各段階において差異が出てくることが明らかになった。

【参考文献】

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